エール学園50年のあゆみ

難波予備校と難波高等経理学院、難波電気工学院、
日本写植学院の4校からスタートしたエール学園。
その変革の半世紀を足跡をご紹介します。

1967-1975 草創期

高度経済成長期の中、大阪での商いから教育現場へ。職業教育・予備校教育をスタートさせました。

難波予備校入学式風景
難波予備校の拠点であった南朝日ビル
難波予備校授業風景
タイプ実習風景

設置者長谷川フサは、戦後に大阪の地で寿屋食品工業を立ち上げ、3女傑と評価される企業家として成功を収めました。その後、商いから教育の道に進んだフサは、1967年株式会社青晃が運営する難波予備校、難波高等経理学院、難波電子工学院、日本写植学院を引き継ぎ、設置者として学園の歴史がスタートします。

1967年 大阪市浪速区難波1号館にて学園発足
難波高等経理専門学校/難波予備校 開校
1968年 難波電子工学院 開校
1968年 日本写植学院 開校

1976-1993 成長期

1976年に学校法人化し、「学校法人エール学園」が発足。創立10周年、20周年を迎え、新校舎竣工。この時期、予備校と専門学校それぞれの礎が築かれました。

エール予備校(2号館)新校舎竣工披露式 1976年
学校法人エール学園・㈱青晃創立10周年記念式 1977年
創立20周年記念冊子 1987年

2号館を竣工した頃にはエール予備校の入学式を中之島・大阪市中央公会堂で実施するまでに学生が増加しました。

1976年 難波予備校からエール予備校に改称
1979年 難波高等経理学院、難波電気工学院、日本写植学院を統合し、学校法人エールリカレントビジネス学院と改称。
1983年 長谷川惠一 第二代理事長就任
1983年 「エールリカレントビジネス学院からエールビジネス専門学校へ改称
エール予備校入学式 1978年
国際交流祭(日本語学校交流会)

エール予備校は、 「関関同立合格No.1」を掲げて関西圏の予備校を代表する教育施設に。また、 エールビジネス専門学校は就職率100%を目標に職業教育が行われました。

1988年 エールオーストラリア校(ゴールドコーストカレッジ・オブ・ビジネス)開校
1989年 エールビジネス専門学校日本語教育学科 発足

1994-2005 転換期

転換期を迎える予備校は、新拠点を開校。専門学校はリカレント教育の取組みや独自の国際活動に邁進していきます。

エール学園主催の留学生運動会
企業説明会

1990年代後半頃から少子高齢化が進み、18歳人口の減少という大波は容赦なく押し寄せてきました。国際化を加速させるためエールビジネス専門学校に日本語教育学科を開設し、テラ外語専門学校を設立。エール予備校は、浪人生に加え、現役生を対象とした高校生科を新たに設置。高校生が予備校に通いやすいよう地域に密着した拠点を新たに多数開校しました。

在籍する留学生も急増し、国際色豊かなイベントや地域活動が行われるようになります。

1995年 エールコリア(韓国ソウル)オフィス、エールチャイナ(中国上海・北京・広州)オフィス開設
1997年 エール予備校西大寺校・橿原校・王寺校 開校
1998年 エールビジネス専門学校からエールネットワーク専門学校へ校名を改称。
2005年 国際メンターシップグラジュエートスクール 開校

2006-2016 飛翔期

国際化を追い求めるエールの教育。2006年に3校を統合し、「エール学園」に名称統一。留学生対象の進学予備校として、また日本企業へ就職するための職業教育の場として新たなあゆみをスタートさせました。

刷新されたロゴマーク 2006年
ハノイ貿易大学との調印式 2015年
朝の地域清掃
大阪マラソンボランティア

留学生の国公立大学や有名私立大学への進学者を多数は輩出。一方、就職を希望する留学生には職業教育を行い、就職率100%という実績をあげています。2016年には1,200名を超える留学生が入学しました。

エール学園では早くから、留学生に対してさまざまな日本文化教育を行っています。留学生は、朝の地域清掃やボランティア活動などを通じて日本文化を肌で感じ、地域社会に貢献できる人材として社会に巣立っています。

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