お知らせ
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2.ネット等による情報のシェアーを行いつつ、特に変化に対応するための最新情報を敏感に察知する。
3月11日の東北大震災で、私は情報の必要性とそして怖さを痛感したように思います。
私は今、1人暮らしなので、あの日家に帰ってから、ずっとテレビやネットで情報を集めました。だけど、集めれば集めるほど、疑問がさらに増え、ますます不安になる自分がいました。
同じ情報であったとしても、アナウンサーのちょっとした仕草や態度で、伝わってくる内容が違うように感じ、また多くの地震学者、原発関係者のコメントを聞くたびに、同じことを言っているはずなのに、その人の見解が混じってニュアンスが大きく変わってしまうことを知りました。
結局、どの情報を信じればいいのかわからなくなった私は、NHKと気象庁の情報のみに情報を絞り、できるだけ震災関連の情報をシャットアウトしました。そうしないと、1人暮らしの私は不安で不安でしょうがなくなるからです。たぶん、私はあの溢れる疑問と情報の渦に溺れてしまっていたのだと思います。
あのときほど、情報が怖いと思ったことはありませんでした。情報には、正しい情報とそうでない情報があると思い込んでいた私にとって、情報は単なる情報であって、それが正しいと信じるかどうかは、私が決めなければならないのだと痛感しました。
しかし、私は情報の渦に溺れながらも、その渦から逃れることもできないのだと、先日知りました。
ゴールデンウィークの初日に、突然、自宅のネットが通じなくなったのです。原因は、恥ずかしながら、料金未納だったからなのですが、祝日と週末が重なって、とにかく5月2日の平日までネットがつながらない状態になってしまいました。
ネットが使えない生活も、また本当に不安で苦痛でした。もちろんテレビや携帯などからも情報を得ることは可能でしたが、それでもネットから情報を得る手段が断たれると、知りたいことが充分得られていないような不足感、不安を覚えました。本当は知らなくても、現実で問題のない情報であったとしても、知らないと落ち着かない自分がいました。それだけ、私は情報を常に摂取する生活に慣れ切ってしまったのです。
もし、今後節電対策が進み、ネットやテレビなどの情報を得る機会が制限されるようになったら、不安になって、おそらく私は1人暮らしもできなくなるだろうなあと思いました。
つまり、何が言いたいのかというと、情報は、私たちが思っている以上に生活に浸透、浸蝕していて、当たり前のように摂取しながらも、過度の摂取はパニックを引き起こす危険があるのだと痛感しました。
そして、その摂取した情報が本当に正しいのかどうかは、実は誰も決められない、わからないものであることを自覚しながら、自分自身で精査しなければならないのだと思いました。そして精査するためには、やはり「自分で考える力」が重要なのだと改めて確信した次第です。(いつも長い話ですみません・・・)
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